2007年12月29日

暇つぶし。

 ただいま午後5時。荷物をつめ、ばたばたと用事をすませ、やっと品川のカフェに落ち着いた今、8時半の倉吉行きのバスが出るまで、暇なのでこの3ケ月のおさらいタイム。
 思えば東京に来てまだ3ケ月。パリにいた時間のほうが長いくらい。なのにもっと長く住んでいる気がするのは日本語が通じるからかもしれない。おかげで不自由なくどこへでも。言葉という、不完全ながらも有能なコミュニケーションスキルを使いこなせないままのパリ滞在、その後の東京滞在は、言葉のありがたさが身にしみる。
 はたまた同居人がいるからかもしれない。他人と時間を重ねると、生活は途端に密度を増す。といっても、別に未来の夫と住んでいるわけではなく、似たような思惑を持った女性が数人。冷蔵庫だって洗濯機だってテレビだって、生活に必要なものは一通りそろっているゲストハウスというのを利用しているため。敷金礼金も必要ない。空きがあれば、私のように段ボール2箱と旅行カバン一つでお引っ越し。ただし同居人というおまけつき。
 「赤の他人と暮らすという選択肢が存在する」という共通点以外、まったく共通点のない赤の他人との共同生活。これは意外とおもしろい。まったく言葉を交わさない人もいれば、リビングで大音量でテクノの人もいる、仕事に誘ってくれる人もいれば(制服はバドガール。無理です)、突然窓から飛び降りかけた人もいるし(びっくりするから、もう)、タマネギを4つ切りで料理する人もいる(豪快過ぎるけど意外とおいしい)。たまには大変だし、心にさざ波もたつしイライラもするけど、一人でいるよりもスリリングかつなぜか充実。旅先の宿のようにテンションも高くなく、あくまでただ「生活」する人々(皆ちょっぴり風変わりとはいえ)。生活のバリエーションとの共存は、3ケ月という短い時間も濃密にする。
 何より働いていれば生活はぎゅっと締まる。仕事があるという都市の気楽さ。ハードルをどの高さに据えるかで仕事のある、ないという話は変わって来るけど、少なくとも自分次第である程度どうにかできるだけの選択肢がある点で、都市は気楽、そして自由(自由は、ある意味ハードでもあるのだけど)。なんとなく自分の周りに横たわる楽観的なムードと、日々目にする人身事故の標示は、今の東京らしさそのもののようにも思う。そんな私は、なんとも気楽な派遣の身分、ワンフロアに数百人の職員がいる職場の、二十数人ほぼ女子の部署でオーエルをしている。ほとんどが取材班で出払っていて、そこまで女子女子してないものの、高校時代から基本一人行動だった私が内勤の女子3人で一緒にお昼、とかいうのはすごく新鮮で、若干くすぐったい。二十数人のうち社員が4人、あとは派遣という今の部署は、季節労働者、皆ナガレモノのおもむき。派遣というシステムをうまく使っているにせよ、使われているにせよ、結局時代の中に生きる以上乗りこなすかどうかは自分次第なのかなぁ(という時代でもあるのか。。)。そんなことを思いつつ、むかし80歳をとおに越した赤岡のオババに「時代を読まなぁいかん」と言われたことを思い出す。
 ちょっとばかし思惑があって東京に来た私は、数年のちにはやっぱり地方に住みたいと思うけど、楽器を手放してまずは都市から始まった新しい生活は、再び音楽と出会うための序奏のようにも思える。結局この一年で思ったのは、追求しない人生は自分の性に合わないということ。魔法が解けてむき出しになった現実を見て、ほんとうは意味などなく、ただそこにあるだけかもしれないものごとに、もっともらしく意味を持たせたり夢を持たせることに、空々しい気持ちがしたり、絶望したり、虚しくなったりもしたけど、それでも理想を追っかけて走り続けるというスタイルがどうも身に沁みてしまっている。だからやっぱり、何かを失いそうになりながらもセンチメンタルになれた今のこのときに、戻ってきた、という感覚がするのだろう。師走の仕業か。


shinagawa01.jpg

posted by fukkura3 at 20:06| Comment(6) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月25日

サンタの日。

純真にて疑う心を知らなかったかつての私は
両親によって巧妙にしかけられたサンタを
小学5年生まで心から信じていたりしたけど、
今の年齢まで引きずっている一見おろかなこの傾向も
自分に与えられた贈り物と思いたい。

メリークリスマス、サンタさん、
カメラが欲しいです。
posted by fukkura3 at 02:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月16日

日常茶飯事。

友達とごはんしたあと、
メトロの駅に向かう。

駅の周辺に消防車と救急車の群れ。
たんかが駅構内に降りて行く。

何事かと思いつつも、
すでに遅い時間、早く帰りたしと駅構内に向かう。

改札を越えるも乗るべき銀座線の電車が中途半端なところで停まっている。
まさにさっき、そこで起きたようだ。
救急隊員や駅員が、中途半端な停まり方としている電車の先頭部に集まっている。

見ちゃいけないと思いつつも、気になる。
幸い遠くからだから見えないものの、
近くに運ばれるたんかや毛布、野次馬の目をさけるためのシートが
逆に生々しさを強調する。

毎日のように電子掲示板にてお知らせされる人身事故。
あまりに日常化したこのお知らせに、
実はいつもこの生々しい現場が伴っているのかと思うと
さすがに二人で沈黙する。

posted by fukkura3 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月10日

ピピロッティ

日曜日、友達と品川にある原美術館へ行く。その存在すら知らなかったけど、同じ職場の美術系の女の子が教えてくれた。今の職場はなかなかいい確率で、興味のツボがあう女の子と、鳥取出身の女の子がいる。

原美術館は、品川駅から徒歩10分くらいの閑静な住宅街の中にあって、もともとは「原サン」の私邸だったらしい。一瞬、昔病院だったのかと思う、生活とは異次元にあるような外観。エントランスまでの小道に、なぜかピンクの公衆電話が、それ自体がオブジェのように据えられている。それを普通に利用している外国人が、何かパフォーマンスをしているように見える。
今やっているのは、スイスのアーティスト、ピピロッティ・リストの企画展。映像と音でしかけられた遊戯場。不思議の国に迷い込んだアリスのように、ふっと「あちら」へさらわれる。カラフルな色彩。スピード感がゆっくりと浮遊する。生々しくもそらぞらしく、ちょっと壊れていて、スマート。

友達がCDを買っていた。今日、4曲目が壊れてるよ、と渡されて、聴いてみてなるほどと思った。クレジットに「RIST」の名前が連ねられているところを見ると、映像の中で流れる音楽も、彼女が作っているのか。展示されている作品の中で、彼女らしき女性がずっとこちらを見ている映像があった。綺麗な人だ。こういうのを、才能というのだろう。

原美術館で最後に見た映像。軽い感じのドレスを着た、傘の大きさの植物を持った女性が、車が連なって停まる道路の脇を嬉々として歩くスローモーションの映像。その植物は実はハードで、心から楽しそうにその植物を振り上げては、車のガラスに打ちおろす。砕け散ったガラスを見て、嬉々として歩き続け、また振り上げて、割る。心の中に爽快感。なんて金のかかるアートだろう。黒光りする車たちが、次々と同じ運命を辿る。悪戯な心があちこちに覗く。



原美術館
http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html 
posted by fukkura3 at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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