2008年02月07日

東京は夜の七時

高校からのともだちと東京駅で会う。
そのともだちは、京都で働いている。
オーダーメイドのシャツ屋さんで働いている。
そのシャツ屋さんは、全国にいっぱいファンがいるけれど、
京都に一店舗しかお店がない。
でもたまに、今回のように、東京で期間限定のお店を開く。
今回は、8日から11日まで4日間だけのシャツ屋さん。
そのために京都からやってきたともだちは、
今日の夜7時に新幹線で東京駅にやってきた。

彼女とは高校からのおつきあい。
なぜか不思議な縁があって、
東京にいるときにメールをしてみると、偶然東京にいたりする。
私がまだ東京に住む前のこと。
彼女との再会はいつもそんな具合だ。

仕事のあと待ち合わせた東京駅で、
一等最初に目に入った喫茶店「ルノアール」で向かい合って珈琲を飲む。
おなかがすいたので安いカレーを並んで食べる。
私が好奇心に負けて頼んだ麻婆カレーの最後を
平らげてもらう。

なんとなしに時間は過ぎる。
タイムリミット付きの再会は
いつもこんな具合に過ぎる。
近くに住んでいたらどんなにいいだろうと思うけど、
そう思って何年も過ぎた。


モリカゲシャツ東京2008
モリカゲシャツ京都

モリカゲシャツのひみつ。◆(ほぼ日より)
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2008年02月03日

血が足りない。

仕事の用事で東京に来ていた母を送ったあとの有楽町、
街頭で献血お願いしますの呼びかけ。
この時期は特にAB型が足りないですといわれたら、
AB型としてはそのまま通り過ぎることもできず
2年ぶりくらいに献血センターに足を踏み入れる。
血の濃さが足らずにあえなく却下。
400ccお願いしますと言っていた受付のおじさんに、
次またチャレンジしてくださいねと励まされる。
本末転倒だ。



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2008年01月28日

ノラや

昨日、ルームメイトのイーさんが図書館に行くのについて、
私も図書館に行くことにした。
スタバに行く前の、午前中のことである。

いつもは一人自転車で辿る道を二人ぷらぷら歩いてみると、
意外と遠くもなく、歩くにはちょうどいい距離だった。

延滞中の本を謝りながら返却し、
しばらく雑誌を見た後、単行本のコーナーで本を探す。
別にこれといって目当てがあったわけでもなく、
さらっと読める本はないかと適当に作家の名前を見渡すと、
ふと内田百けんの名前に目が留まった。

そう読みやすくもあるまいと思いつつも、
何の気なしに題名が読みやすそうな「ノラや」という本を手に取る。
ぱらぱらっとめくってみると、意外といけそうだ。
イーさんが待っている。考える間もなくそのまま貸出カウンターへ。

今日、通勤途中の電車の中、iPodをシャッフルにして、
「ノラや」をめくり始めた。
予想されない音楽とともに始まったのは、内田百けんの飼い猫の話である。
野良猫として飼い始めたというから、野良猫の話と書くべきか。
この内田百けんの猫日記は、淡々としていて、それでいて愛情がある。
淡々としているから、むしろ余計愛情が伝わってくる。

読んでいて、ふっくら邸の蜘蛛を思い出した。
内田百けんとノラほどに長いお付き合いではなかったけれど、
いつの間にかふっくら邸に棲みついていた大きな蜘蛛。
ふっくら邸は一人で住むには大きくて、静かで寂しいおうちだったけど、
いつも何かが棲んでいた。
静かだから、いつも何かが潜んでいるのが感じ取れた。
それは蜘蛛だったり、なめくじだったり、百足だったり、
ああ、そういえば猫もいた、
時には心臓が破裂しそうなほどにびっくりする出会いもあったけど、
いつの間にか、その存在を肯定せざるを得ない、小さいながら確かな存在だった。

ふとそんなことを思い出しながら、今「ノラや」を読み進める。
人間同士は、言葉という便利なものがあるからか分かり合えないのを嘆いたりするけれど、
猫はハナカラ言葉が通じないもんだから、感じ取れる何かがあったときには余計うれしいものだろう。
人間同士だって、理解しあえないという前提に立ったときに初めて近づける気がしなくもない。
つい数日前に見た映画は、そういえばそんな感じの話だった。


○ 内田百けん「ノラや
○ 映画「迷子の警察音楽隊







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2008年01月27日

おともだち。

今日のこと、
まったく何の予定も構えず迎えてしまった日曜日、
とある理由にて気もそぞろ、
どこかに行きたいでもなし、かといって家にもいたくなし、
数時間粘れるだけの本やら便箋やらフラ語のノートやらを持って、
スタバに出かける。
手持ちの用事をやり尽くしてから帰ろうと
普段はショートサイズのラテもトールサイズにして座ること数十分。
それフランス語?と、ふいに隣の女性に声をかけられる。
何の気なしに応答していたつもりが、いつの間にか終わりの見えない会話に突入。
気づけば日も暮れていた。

お姉さんでもないが、おばさんでもない、
何ものかいまいち掴めないまま会話すること4時間。
あたりが暗くなる頃には、
彼女が韓国人で、浅草生まれ、浅草育ちの男性と結婚、
大学生の男の子が一人いて、
子育てが終わったので大学で心理学を勉強し始め、春からは大学院生、
愛されて結婚をしたから恋をしたことがなく、
恋をしたいが誰かにときめくこともなく、
生き甲斐はパパをいじめること(パパの生き甲斐は私にいじめられること)。
ざっとそんな身の上が明らかになると同時に、
私の身の上もある程度明らかにされ、
家にピアノがあるから遊びにおいでという話で締めくくり。

彼女は、携帯を家に忘れたというので、
「私今スタバにいるの。携帯持って来て。」と私の電話でパパを呼び出しスタバで待機、
私はおなかがすいたので先に帰る。

なんだか事故にあった気分。
とにかく何か食べてから今日の残りを考えようと
手つかずの重い荷物を持ってひとまず帰る。
おうちに帰るとイーさんがカレーを作っていたので
お裾分けをいただきながら今日の出来事を話すと、
「ああ、韓国人ですねぇ。誰にでも声をかける。」と一言。

そぞろな気はさらにそぞろになり、
今にいたる。
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2008年01月19日

芝居見物(と幕間の粟ぜんざい)

早めに退社、そそくさと新春浅草歌舞伎へ。

とある歌舞伎通のご隠居から、
若手もなかなか、ぜひ観に行ってみなさいと言われたので、急遽予定繰り。
大河ドラマの風林火山で武田信玄役をした亀治郎が
「金閣寺」で歌舞伎三姫の雪姫。
途中舞台に散る花吹雪が綺麗だった。
途中劇的に登場する龍の姿が
棒の先に括られたちゃちい龍で滑稽だった。
桜の木に繋がれた雪姫の綱を噛み切る鼠も
棒の先の人形、若干笑いが起きた。
実のところちょっと寝た。


幕間、芝居の幕間となると何か食べないとという強迫観念にかられ、
すぐ近くの「梅園」へ。

umezono1.jpg






ずっと狙っていた粟ぜんざい。

umezono3.jpg


粟がもちもちしていておいしかった。
私にはあんこがちょっと甘かった。
でもこれはある程度好みでしょう。
粟は自分で炊いてもこんなにもちもちなるのかなァ。



再び芝居見物に戻る。
次の幕は世話もので、言葉使いも分かりやすく、観やすいお芝居なのだけど、ちょっと寝た。
なんだか今回の芝居はいまひとつ楽しみ切れず。
ひとえに観る側、私の問題ですが。



11月だったか、歌舞伎座で観た仁左衛門と玉三郎の「牡丹灯籠」は、観劇後の余韻がひとしおだった。それは、三遊亭圓朝の落語を速記で記した原作を読んで、今まで知らなかった圓朝の世界のおもしろさにすでにはまっていたからで、圓朝の落語で語られた原作が歌舞伎でどんなに変化しているかが見えたからで、さらには玉三郎が演じる下町の女に、彼の演じる綺麗どころの役以上に何かぞくぞくさせる女らしさ(というか女臭さというか)を感じたからで、見終わったとき何重にも波打つ余韻の中に、またはっと気づくものがあったりして、これぞ何重もの味わいだった。圓朝と歌舞伎が交わって生まれたこの芝居のおもしろさは、これまで知っていた歌舞伎のおもしろさとはまったく違って、それは作品の魅力にも増して私自身が観る前にすでにその作品に歩み寄っていたことが大きかったのだろうと思う。

予備知識なしで知らない世界に引き込まれるも一つ(映画はむしろそんな役回り?)、でも歌舞伎に関しては、自分から歩み寄ったときにだけ踏み込める深みがあるということがちょっとだけわかってきただけに、やっぱりバタバタとそそくさと観に行くとはちょっともったいないことをしたなとちょっとだけ残念に思う。



● 新春浅草歌舞伎
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/other/2008/01/post_9.html
● 梅 園   
http://www.asakusa-umezono.co.jp/
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2008年01月15日

野菜礼賛

今年のお正月はなんだかとってもお正月らしかった。
年越しそばも食べてないし、除夜の鐘もついていないし、初詣にも行ってないし、同郷の友とも会ってないし、よく考えると正月のツボは何一つ突いてないのだけど、毎日おせちという一点だけで、とっても正月らしかった。
雪が積もっていたわけでもないのに、雪に降り込められてしまったかのように家にこもり、年末に母が買いためた食料と母が作ったおせちで正月三ヶ日をやり過ごす。一緒に過ごすのは家族だけ。野菜がなくなれば畑へ。メニューは畑の野菜と年末に作ったおもちが入ったお雑煮、それにおせち。毎日毎日同じメニュー。完璧なミニマリズム。
毎日同じ具のお雑煮。でも飽きるどころか毎日食べられる幸福感。なにせ野菜がおいしい。白菜は甘い。人参は濃い。父が我が子にむかって「我が子よりもかわいい」という畑で、不器用な父に代わって私が入念に雑草むしりをした人参は、形は不恰好なくせに「うまい」をそのまま体現したような佇まいをしている。
ある日、白菜のストックがなくなり、ついに人参だけ雑煮になってしまった。人参のお吸い物にとち餅だけ。ああ、ここまでくるとさすがに侘しいなぁと思うも、食べてみると意外においしい。人参も、とち餅も、それだけで存在感がある。人参は、お雑煮の中にあって、その色彩と味の存在感で一瞬にして心を捕らえる。そして思ってしまった。ああ、人参になりたい。
こんな、擬人化しつつも非対人的な思考ばかりしてるからか、年賀状には「早く彼氏を作ってください」と書かれる始末だが、そんな私の今年の抱負は「いい女」。昨年も同じ抱負だったということは行く年とともに忘れ去り、新年の幕開けは新しい気持ちで迎え入れたい。いい女の指標が人参に置かれた今、今年もすでに昨年と同じ運命を辿りつつあることはしばし忘れ、まずは野菜礼賛。
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2008年01月10日

カレーの日

この一ケ月に出て行く人3人、入ってきた人2人。
我が家の話です。

タマネギを四つ切りで調理するイーさんにお父さんが漬けたラッキョウのおすそわけ。
そこでイーさんのお母さんがタマネギをまるごと漬けるという事実が発覚。血は争えない。

台湾人の女の子は日本のドラマに詳しい。
台湾では日本で放映が終わったドラマがすぐにDVDになるとか。
700円くらいで買えるらしい。いわゆる海賊版?

今日はカレーの日。発作は突然やってくる。
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2008年01月09日

ホームシック

東京に戻ってきました。
父が作った畑のお野菜を使って料理したり、甥っ子姪っ子と遊んだり(遊ばれたり)、コタツでのだめを見たり、ピアノを弾いたり、たまに温泉に行ったり、そんなのがあまりにも馴染み過ぎて、また東京に戻るのが不思議なくらい。欲しいものすべてがあるわけじゃないけど、一番欲しいものがあるのが田舎かも。特においしいごはんとか。甥っ子姪っ子の成長とか。しかしそれはすべて私のものではないので、私は私で築いていかねば、なのです。ああ、でもやっぱり、うまいもん。

久々の出社、久々のランチに近くの焼き肉レストランでビビンパ、980円。会社付近の外食にしてはお野菜がいっぱいでおいしかったのだけど、やはり畑でとれたてのセロリとかレタスとか、明らかに無農薬のニンジンや白菜のお汁とか、そのうまさには負けるのです。高知のカツオもしかり。食べ物への郷愁。異常なまでに。

帰ると、新しい入居者が。台湾人の女の子。日本語ぺらぺら。
5年付き合ってる彼氏が台湾在住の日本人とか。
コペンハーゲンで出会った二人の台湾人の女の子と同じ香りがする。
親しみやすい話し方、柔らかい笑顔。

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2008年01月03日

新春

あけましておめでとうございます。
今年はすっかりのだめ正月。
昨日は今さら年賀状書きながらのだめ、
今日はコタツでただひたすらのだめ。
父からチャンネル権剥奪です。(箱根はCM中に限定)

ドラマ全部見るのなんざ久しぶりだ。
(しばらくテレビすらなかったしなァ)
すっかりのだめファンの私は、明日のパリ編も楽しみです。

弾いたことある曲が次々と出てきたら、
やっぱり弾きたくなって、ついでにしばしピアノタイム。
昔よりうまくなった気がするのは気のせいか?(気のせいでしょうね)

さらには、実家に置いていたCD・MDの中に
懐かしい曲たちを発見、今度はクラシックアワー。
中に、以前「リストのハンガリー狂詩曲持ってたらお願い!」と
かなりマニアックにCDを集めている知人にお願いして手に入れた
「7人のピアニストによるハンガリー狂詩曲第二番のMD」を発見。
7曲ひたすらハンガリー狂詩曲。利き酒状態。
トップバッター、コルトー。
続いてフリードマン、
ギンズブルク、
ホフマン、
ホロヴィッツ、
パデレフスキ、
最後、シドン。

一曲につきこれだけの奏者のものを持ってるということは
おうちにどれだけのCDが…?と今さら驚く。
今日のところはコルトーとホロヴィッツで。
これからの世にもう美空ひばりの歌声は出て来ないだろうな、的な
コルトーのピアノが大好きなのだけど、
今日の気分はホロヴィッツでした。

てなわけで、今年もどうぞよろしくお願いいたします。




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2007年12月29日

暇つぶし。

 ただいま午後5時。荷物をつめ、ばたばたと用事をすませ、やっと品川のカフェに落ち着いた今、8時半の倉吉行きのバスが出るまで、暇なのでこの3ケ月のおさらいタイム。
 思えば東京に来てまだ3ケ月。パリにいた時間のほうが長いくらい。なのにもっと長く住んでいる気がするのは日本語が通じるからかもしれない。おかげで不自由なくどこへでも。言葉という、不完全ながらも有能なコミュニケーションスキルを使いこなせないままのパリ滞在、その後の東京滞在は、言葉のありがたさが身にしみる。
 はたまた同居人がいるからかもしれない。他人と時間を重ねると、生活は途端に密度を増す。といっても、別に未来の夫と住んでいるわけではなく、似たような思惑を持った女性が数人。冷蔵庫だって洗濯機だってテレビだって、生活に必要なものは一通りそろっているゲストハウスというのを利用しているため。敷金礼金も必要ない。空きがあれば、私のように段ボール2箱と旅行カバン一つでお引っ越し。ただし同居人というおまけつき。
 「赤の他人と暮らすという選択肢が存在する」という共通点以外、まったく共通点のない赤の他人との共同生活。これは意外とおもしろい。まったく言葉を交わさない人もいれば、リビングで大音量でテクノの人もいる、仕事に誘ってくれる人もいれば(制服はバドガール。無理です)、突然窓から飛び降りかけた人もいるし(びっくりするから、もう)、タマネギを4つ切りで料理する人もいる(豪快過ぎるけど意外とおいしい)。たまには大変だし、心にさざ波もたつしイライラもするけど、一人でいるよりもスリリングかつなぜか充実。旅先の宿のようにテンションも高くなく、あくまでただ「生活」する人々(皆ちょっぴり風変わりとはいえ)。生活のバリエーションとの共存は、3ケ月という短い時間も濃密にする。
 何より働いていれば生活はぎゅっと締まる。仕事があるという都市の気楽さ。ハードルをどの高さに据えるかで仕事のある、ないという話は変わって来るけど、少なくとも自分次第である程度どうにかできるだけの選択肢がある点で、都市は気楽、そして自由(自由は、ある意味ハードでもあるのだけど)。なんとなく自分の周りに横たわる楽観的なムードと、日々目にする人身事故の標示は、今の東京らしさそのもののようにも思う。そんな私は、なんとも気楽な派遣の身分、ワンフロアに数百人の職員がいる職場の、二十数人ほぼ女子の部署でオーエルをしている。ほとんどが取材班で出払っていて、そこまで女子女子してないものの、高校時代から基本一人行動だった私が内勤の女子3人で一緒にお昼、とかいうのはすごく新鮮で、若干くすぐったい。二十数人のうち社員が4人、あとは派遣という今の部署は、季節労働者、皆ナガレモノのおもむき。派遣というシステムをうまく使っているにせよ、使われているにせよ、結局時代の中に生きる以上乗りこなすかどうかは自分次第なのかなぁ(という時代でもあるのか。。)。そんなことを思いつつ、むかし80歳をとおに越した赤岡のオババに「時代を読まなぁいかん」と言われたことを思い出す。
 ちょっとばかし思惑があって東京に来た私は、数年のちにはやっぱり地方に住みたいと思うけど、楽器を手放してまずは都市から始まった新しい生活は、再び音楽と出会うための序奏のようにも思える。結局この一年で思ったのは、追求しない人生は自分の性に合わないということ。魔法が解けてむき出しになった現実を見て、ほんとうは意味などなく、ただそこにあるだけかもしれないものごとに、もっともらしく意味を持たせたり夢を持たせることに、空々しい気持ちがしたり、絶望したり、虚しくなったりもしたけど、それでも理想を追っかけて走り続けるというスタイルがどうも身に沁みてしまっている。だからやっぱり、何かを失いそうになりながらもセンチメンタルになれた今のこのときに、戻ってきた、という感覚がするのだろう。師走の仕業か。


shinagawa01.jpg

posted by fukkura3 at 20:06| Comment(6) | TrackBack(0) | 日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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